シャーマニズムと聞けば、クリスチャンなら厭うべき迷信じみた異教というイメージを持つかと思います。あるいは、悪霊信仰とか。あるいは偶像礼拝とか。それはそれでいいんですが、さて、なぜシャーマニズムは、あらゆる時代に、あらゆる地域で見出されるのでしょうか。なぜこんなに普遍的なのでしょうか。人間は堕落しているからだとか、神の栄光は被造物に現れているのに無視しているからだとか・・・? まぁ、それはそれでいいんですが、シャーマニズムが存在する十分な理由もあるのではないでしょうか。シャーマニズムを好意的に考えているわけではないですが、長澤流に、シャーマニズムの起源について切り込んでみたいと思います。
ティリッヒという人が、不安には大きく分けて3種類あると言っ� ��います。運命の不安、無意味の不安、罪責の不安。この3つは、お互いに浸透しているそうです。運命の不安とは、人生が偶発的なものに支配される不安です。つまり発生する必然性がない出来事が、降りかかるかもしれないという不安です。そしてわたしたち人間は、そういう運命に対して無力であるという自覚が不安を生みます。最近日本で起きていますが、歩道を歩いていたら突然乗用車が突っ込んできたとか。自分は何も車と衝突する行動はしていないのに、偶然その場に車が突っ込んで死ぬ。自分に過失がなくても、車が突っ込んできたら死ななければならないわけです。輸血してもらったら、偶然HIVに感染した輸血剤だったとか。災難は降りかかってくるのです。自分が選んだわけでもないのに。自分が、自分の運命を� �全に支配できない不安。これは人間ならばだれでも意識している不安です。それは今日自分の身に降りかかるかもしれない、明日かもしれない。だれもその可能性を完全には否定できません。
しかし災難が自分に降りかかることだけが運命の不安ではありません。ここで運命の不安は、無意味の不安と結びつきます。運命の不安が耐え難くなるのは、災難が「たまたま」降りかかるからです。つまり降りかかった災難に必然的な理由がないから、「偶然」やってくるからです。
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